【目標達成論】「戯論」(けろん)は机上の空論|”当たり前”を継続すること

どうも、海馬(@Transtier)です。

高校卒業から20歳くらいまで、英語を独学で猛勉強していました。英語を独学で学んだ先駆者たちのレビューを参考にしていると、よく目にしたのが「日本の教材はいかにして楽に習得できるかを訴える」という言葉です。確かに、聞き流すだけで英語が話せるようになるとか、英語が一週間でいとも簡単に話せるようになるというようなキャッチコピーが多くありますよね。

英語だけに限らず、ダイエットやお金儲けについても同様で、いかに楽をするかということが強調されているものは数多くあります。こういったように「勉強しないで英語を話せるようになりたい」というような考え方のことを、「戯論」(けろん)と呼ぶそうです。

この言葉は「孫子の兵法」を読んでいた時に偶然目にした言葉でしたが、人生の本質をついていると感じたので、調べてみることにしました。

 

戯論について

戯論の意味とは

戯論の意味をしっかりと把握したかったのですが、調べてもあまりハッキリとした意味は書かれていませんでした。。。コトバンクの説明を引用すると、下記の内容になります。

仏教用語。無意味で無益な言論のこと。愛着心から行う言論であるところの愛論と,偏見より行う言論であるところの見論とがある。仏教では形而上学的な議論は戯論に属する。

物凄く簡単に言ってしまうと、要するに時間の無駄っていう感じでしょうか。無意味で無益な言論のことを指すようですが、例えば雑談レベルの世間話は戯論に該当するのか気になりましたね。会話によって相手との信頼関係や友好関係を築こうとするなら、それは戯論ではなくなるのでしょうか。

戯論=愛論+見論

コトバンクの説明にもあった通り、戯論はさらに愛論(あいろん)見論(けんろん)があります。愛論の方は愛着によって起こる誤った言論であり、見論は道理を外れた言論だそうです。愛論の方はなんとなくイメージがつきやすい気がします。

人間は愛着が湧くと、公平な判断ができなくなってしまいますよね。道理を外れた言論というのがどの程度を指すのか、非常に興味深いですが、なかなかいい例が見つからなかったのが残念です。

戯論について他にも色々と調べていくうち、とてもわかりやすい表現を見つけました。それは、戯論は机上の空論だということです。

 

戯論は机上の空論

ルールブックから入ろうとする人

机上の空論だと考えると、途端にイメージがハッキリしてきました。僕は野球をやろうと思った時、まずはグローブを着けて実際にキャッチボールをしてみたり、バットを振ってみたりするところから始めました。

また、水泳を始めた時は、浮きを着けて水に慣れるというところからです。共通しているのは、実際に体験してみることですよね。

もし僕が最初に野球のルールブックや水泳の本を読んでから始めようと思っていたなら、それは机上の空論として扱われてしまうわけです。なぜなら、行動が伴わない思考は無意味で無益な言論、すなわち戯論だからです。

野球をやりたいなら、まずボールに触ってみる。

泳げるようになりたければ、水に入ってみる。

当たり前のようですが、この当たり前のことをやることこそ、戯論からの脱却と言えるんじゃないかなと思いますね。

行動することが大切

無意味で無益な言論という曖昧な言葉から始まった戯論ですが、机上の空論という輪郭のハッキリした言葉を得たので、だいぶ身近な言葉に感じられるようになりました。そうやって考えてみると、確かに自分も含め、世の中には戯論が溢れていますよね。

先ほど挙げたように、物事というのは当たり前のことを当たり前にやることが結局近道なんじゃないかと思います。英語が話せるようになりたければ必要な語彙や文法知識を吸収し、話す努力をするということが王道ですし、ダイエットも有酸素運動をして食事制限を行えば痩せるということは誰にも明白なことです。

それでも、勉強しなくても英語が話せるようになりたいとか、運動したくないしお腹いっぱい食事をしたいけど、痩せたいというようなことは、まさしく戯論ですよね。

これはどんなことにも当てはまるんじゃないかと思います。日々の行動は変えたくないけど人生を変えたいというような願望や、相手には変わって欲しいけど自分は変わりたくないというのも戯論でしょう。

戯論を心に抱いているうちは、変わっていけなさそうです

 

戯論を排除し、当たり前を続ける

先日の更新をした記事の中で、千里の道も一歩からという記事を書きました。これは大きな目標に向かっていくことも大事だけれど、目標を達成するためには当たり前に思える小さなことをコツコツと継続させていくことが大切だという記事です。

目標を描くことは自分の目的地を見定めるために必要ですが、その目標をただ見ているだけでは、それは単なる戯論にすぎないということですよね。まずは自分のために行動をしていくようにしたいと思いました。

  • 相手を変えるためにはまず自分が変わる。
  • 英語を話せるようになるためには勉強する。
  • ダイエットを成功させるためには食事制限をする。
  • 人生を変えるためには自分自身と日々の行動を変える。

このように、当たり前のことを当たり前にやるということを意識していきたいと思います。

 

まとめ

本を読んでいる時にふと目に止まった単語を調べたら、実はとても身近な言葉であるということが学べました。そして何より、自分が普段の生活の中で、いかに戯論を使っているかということがわかりました。

机上の空論というのは、何か新しいアイディアを出す時なんかに使う言葉だと思っていましたが、そうではないんですね。

行動が伴わない思考は戯論である

このことを肝に銘じ、やるべきことを淡々と実行していく。そんな人になれたらいいなと思いました。

それでは、また。

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ABOUT US

海馬
「無知の知」を自覚し、学び続けています。 増やした知識が単なる記憶の蓄積とならないように、ブログ「知識の海から」を立ち上げました。 学んだことや考えたことをアウトプットしていきます。英語が好きで、独学でTOEIC955点。英国と米国に滞在経験あり。2020年秋に産能大学卒業予定。学べる環境に感謝。