どうも、海馬(@Transtier)です。
学んだことや考えたことについて書き綴っている当ブログ、「知識の海から」ですが、ありがたいことに最近は読んでくださる方も増えてきました。やはりどんなことでも、数字が増えていくというのは見ていて楽しいことであり、記事を書く意欲にも繋がっています。
しかし、アクセス数が増えてくると、今度は他人のアクセス数が気になってきました。自分の中だけで楽しんでいればいいものを、他人のブログと比べた途端、書くことを素直に喜べなくなってしまう自分がいることが気になりました。
他人よりも優れていると思われたい、自分を認めてもらいたいという承認欲求は、誰にでもある欲求です。しかし、それに支配されてしまうと、社会生活において支障をきたす可能性が高くなってしまいます。
他人と比較をしないように、承認欲求について調べたり考えたりしていたところ、とても面白い考え方と出会いました。今回はそのことについて、書いていきたいと思います。
目次
承認欲求とは
マズローの欲求5段階説
他人から承認されたいという欲求は、アメリカの心理学者であるアブラハム・マズローが提唱した「欲求5段階説」で自己実現欲求の前に位置している欲求です。
- 自己実現欲求:自分らしく生きたい
- 承認欲求:認めてもらいたい、褒められたい
- 所属と愛の欲求:集団に属したい、仲間が欲しい
- 安全欲求:安全、安心な生活を送りたい
- 生理的欲求:食べたい、寝たいなど
低次の欲求を満たすことで、高次の欲求を求めるようになるという考え方ですね。
日本は所属と愛の欲求までは簡単に満たされる
日本や世界の先進国と言われる豊かな国に生まれると、「生理的欲求」は満たされています。次の「安全欲求」も、普通に生きていればそれほど命の危険にさらされるようなことは多くないので、満たされます。
「所属と愛の欲求」は義務教育により、小学校や中学校に通うことで早期に集団へ属すことになるので、こちらも満たされます。そうなると、なかなか満たされないのが「承認欲求」なんですね。
なぜ承認欲求が満たされにくいのか、それは誰もが持っている欲求だからです。
誰もが自分を認めてもらいたいと思っている
日本に生まれ、「生理的欲求」「安全欲求」「所属と愛の欲求」が満たされたなら、次に満たしたくなるのが「承認欲求」です。つまり、誰もが「他者」を認めるより、「自分を認めてもらいたい」と心の中では願っているのが実情なんですね。
特に顕著なのがSNSではないでしょうか。「いいね」を欲しがり、過激なことをしたりして注目を集めるということが問題になったり、話題になったりしましたよね。
普段の生活の中で、自分が誰かに認められたいと思った時、その相手も自分を認めてもらいたいと思っているということです。そのことに気がつくと、なんだかとても不思議な感じがしました。
誰もが自分を認めて欲しがっていて、興味は自分自身に向いていると想像してみます。そうすると、どうすればいいか、自ずと答えが見えてくるような気がしました。
承認欲求の螺旋から降りる
バガボンドの宍戸梅軒から学ぶ
井上雄彦さんが描いていた宮本武蔵を題材にした漫画「バガボンド」がずっと好きなんですが、その中で今回のテーマに合う言葉を見つけました。少々物騒ですが、こんな言葉です。
殺し合いの螺旋から俺は降りる
by宍戸梅軒(辻風黄平)
これは鎖鎌の使い手である宍戸梅軒が、宮本武蔵と戦って敗れ、命乞いをした時のセリフです。宍戸梅軒はもともと、本名は辻風黄平と言いました。辻風組という野党を率いる頭領の弟でしたが、眉目秀麗な外見から野党内でいざこざがあった際、実の兄から蔵に幽閉されてしまい、復讐だけを生きがいとして生きてきたんですね。
当初は野党らしく、人を斬ることを何とも思わないような冷酷な一面を見せていましたが、後に佐々木小次郎に敗れ、宍戸梅軒として名を変えてひっそりと生きていました。宮本武蔵と再会したことにより、かつての死神としての姿が蘇ります。
因縁の対決の末に斬られてしまいますが、共に暮らしていた龍胆という娘と生きるため、プライドを捨てて命乞いをするという印象的な展開でした。
殺し合い=同じ土俵に立っている
宮本武蔵は天下無双を目指すために剣の道を極めようとしていたのに対し、宍戸梅軒は死神と恐れられるほどの殺し屋でした。そんな2人には、”斬り合う”という共通の土俵があったわけです。
人より強くなって認められたいというのは、まさに承認欲求だったんじゃないかと思いました。そして宍戸梅軒は負けた時に「殺し合いの螺旋から俺は降りる」と言います。斬り合うという土俵を降りれば、もはや宮本武蔵と争うこともないわけですね。
初めて読んだ当時は思いませんでしたが、今になって読み返すと、「承認欲求の螺旋から俺は降りる」というように読めるような気がしました。
相手をまず先に認めること
承認欲求の螺旋、すなわち認められたがりの螺旋とも言えるかもしれませんが、そこから降りてしまえばどうでしょうか。人は誰でも、特別な存在になりたいと思っていますよね。それはとても自然なことで、人生を見るのは自分自身の目を通してだからです。
誰もが自分を認めて欲しいと、承認欲求の螺旋にいるのであれば、そこから降りてしまえばいいのではないでしょうか。まず先に、相手を認める。そうすれば、相手にとって自分は特別な存在になりますよね。
なぜなら、承認欲求を満たしてくれる相手だからです。お互いに認められようとして張り合うより、自分は承認欲求の螺旋の外から世界を見る。それができるようになれば、承認欲求に悩まされることもなくなるんじゃないかと。
言うは易し、行うは難しなのは承知していますが、何事も練習あるのみですよね。このような新しい考え方を定着させるため、まず先に相手を認めることを目指したいと思います。
自己承認で承認欲求を満たす
自己承認欲求と他者承認欲求
先ほど挙げた承認欲求は、他者承認欲求というものです。これは読んで字のごとく、他者から承認されたいという欲求ですね。実は承認欲求にも低次と高次の欲求があり、低次のものが他者承認欲求、高次のものが自己承認欲求です。
他者承認欲求よりも自己承認欲求を満たすことができる方が真の意味で満たされるそうです。それならば、自己承認欲求はしっかりと満たしていきたいところですよね。
そこで、先ほどの宍戸梅軒に続き『バガボンド』の吉岡伝七郎の名言の中から、自己承認欲求に繋がりそうな言葉がありますので、紹介したいと思います。
蟻の一歩に喜びを見出す
吉岡伝七郎というのは、宮本武蔵が最初に京都で戦った相手です。京都では有名な吉岡一門の次男であり、当時は宮本武蔵よりはるかに格上でした。まさに剣豪といった風体の伝七郎には華奢で遊び人な吉岡清十郎という兄がいます。
その兄は弟をはるかに凌ぐ天才で、異次元の強さを誇っていました。そんな兄に対し、弟の伝七郎が感じていたことが次の言葉です。
鷲のように飛べたら、蟻が一歩一歩歩いていることなど見えやしないだろう。でも歩いているんだ。蟻は歩いているんだ。一歩一歩、喜びをかみしめながら。
by吉岡伝七郎
天賦の才を誇る、兄の清十郎はまさに大空を飛ぶ鷲。愚鈍で真っ直ぐな弟は蟻です。しかし、どんなにちっぽけな存在のように見えても、ちっぽけな存在なりに成長を感じて喜んでいるということを表している言葉ですね。
こちらも、色々と人生経験を積み、学んできた今だからこそ、とても胸に響くものがありました。
自分自身の喜びを感じよう
何か新しいことを始めようと思った時、前を行く他者の姿を見て諦めたくなってしまうことってありますよね。僕はブログに対して感じそうになりましたが、思い起こせば英語学習の時も感じていました。
帰国子女の英語力や、生まれながらに英語を話す人たちと自分を比べて、何度もくじけそうになりました。しかし、海外の人とコミュニケーションが取れるようになってきた変化を感じたり、TOEICの点数が上がっていくことが嬉しくて、英語をずっと続けられました。
おかげでTOEICでは955点を取得し、今は外資系企業で働けています。他人と比べるのはやめて、自分自身の喜びを感じることが、一番の原動力になるんですよね。
この他者承認欲求と自己承認欲求は、ある意味で外発的動機付けと内発的動機付けに通じるものがあると感じました。報酬を外部に求めるのか、内部に求めるのか。
その点も非常に興味深いところですね。
▼動機付けに関しての話は以下の記事に詳しく書いていますのであわせてどうぞ!
関連記事: 内発的動機付けと外発的動機付け|モチベーション維持のために
まとめ
以上、承認欲求について調べたこと、および考えたことについて書きました。
マズローの欲求5段階説は自己実現欲求のインパクトが強すぎて、その他の欲求についてはあまり馴染みがありませんでしたが、改めて考え直すきっかけとなりました。
- 他者の承認欲求を満たす
- 自分自身の喜びを見出す
今後はこの2点をしっかりと自分のものにできるよう、意識して日々を過ごしていきたいと思います。
今後も「知識の海から」では僕が学んだことや考えたことを喜びを感じながらアウトプットしていきますので、よろしくお願いします。
それでは、また。
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