短命に散るより「無事是名馬」を目指そう|自分の選手生命を意識する

どうも、海馬(@Transtier)です。

無事是名馬」という言葉を聞いたことはありますか?

これは競馬の世界で語られている言葉で、僕が初めて目にしたのは小学校低学年の時でした。「みどりのマキバオー」の中に出てくるスパルタ調教師「飯富昌虎」が、自分の調教法を世間から認めてもらえず、悩んでいるときにボソッと呟いた言葉です。

無事是名馬なんてあったもんか

この雰囲気から、小学生だった当時の僕は「無事是名馬」という言葉はどちらかと言えば否定的な言葉なんだと受け取ったんですね。それから長い年月が経ち、社会に出て働くようになりました。

社会人として多くの人を見る中で、この「無事是名馬」という言葉を思い出した時、この言葉はまさに僕たちサラリーマンが目指すべき姿なんじゃないかと思うようになったわけです。

そのことについて、書いていきたいと思います。

 

無事是名馬について

無事是名馬の読み方と意味

普通に何度も書いてしまいましたが、「無事是名馬」の読み方は「ぶじこれめいば」です。知っている方も多いと思いますが、念の為。この言葉の意味は、以下のようになります。

能力が多少劣っていても、怪我なく無事に走り続ける馬は名馬である

この言葉は、馬主からの目線で語られている言葉なんですね。競走馬だけではなく、どんなスポーツ界にもあると思いますが、選手生命というのがとても重要です。輝かしい成績をあげたのに、すぐに故障してしまって引退することになった選手というのは数多くいますよね。

今でも伝説として語られているのが元ヤクルトの伊藤智仁投手だと思います。あまりにも異次元の活躍をしましたが、故障によってその選手生命は絶たれてしまいました。

薄命に終わるよりも、多少能力が劣っていたとしても長く続けられる。そういった競走馬や選手は、もっと評価されるべきだと思います。

 

無事是名馬の由来

この言葉をパッと見た時、中国伝来の言葉だろうと思いました。もともとは競走馬を指す言葉ではなく、たぶん中国の春秋戦国時代くらい、あるいはもっと後の魏蜀呉の三国時代あたりに、弓矢が飛び交う戦場を無傷で駆け抜ける馬は名馬であると言い伝えられてきたんじゃないかなと。

ところがこれは大間違いで、日本の作家で馬主でもあった「菊池 寛」による造語なんだそうです。ちなみに全てが造語というわけでもなく、無事是名馬には元ネタの禅語がありました。菊池寛氏は文芸春秋社を創業したり、日本に麻雀ブームを起こしたり、麻雀牌が品薄になった時には自社ブランドの麻雀牌を作ったりと、やり手のビジネスマンって感じだったんでしょうか。

 

無事是貴人について

無事是貴人の読み方と意味

無事是名馬の元ネタとなった禅語が「無事是貴人」で、読み方は「ぶじこれきにん」です。「きじん」じゃないんですね。意味は「怪我がなく、無事に過ごせている人は貴人」だと思いきや、こちらも全然違いました。

禅語としての「無事」は、「何もしないこと」と言い換えられそうです。流行りのマインドフルネスに近い感覚で「あるがまま」の境地に近いのかなと。そして貴人は位が高い貴族のような人かと思いましたが、こちらは道を極めた仏のような人のことを指しているんだそうです。

『新版 禅学大辞典』には、「臨済義玄の言葉。無事は無為のこと。無為とは、『平常心是道』というありかたで、一切の造作を排して無心に道に合すること」とある。【無事是貴人】

茶席の禅語選より

 

スポーツの世界は厳しい

競争する世界にいた

無事是名馬はダメなんだと理解した背景として、僕が水泳の選手コースに所属していたということがあります。そのクラブはオリンピックに出場した選手が所属していたようなクラブで、小学校低学年から放課後は毎日練習に通っていました。

水泳の世界では、コンマ1秒でも速いことが正義とされます。たとえ年下の選手であったとしても、自分よりタイムが速かったなら、自分が格下として扱われても文句は言えないという暗黙の了解がありました。僕は同年代よりも誕生日が早かったので、いつも争う相手は年上ばかり。

それで僕が類稀なる才能と身体能力を持ち、年上の選手をなぎ倒していったならよかったのですが、そうもいかず。クラブの中ではいつも惨めな思いをしていました。

 

水泳の選手生命は短い

今では30代でも最前線で活躍している水泳選手もいますが、僕が小学生の時は水泳選手のピークは20代前半とか言われていたような気がします。水泳の選手はピークが早く、若いほど有利と考えられていました。だから、いかに早く実績を残すかが大事なんですよね。

実績も残さず、長いこと選手を続けていることにはなんの価値観もないと思っていました。結局、僕は水泳をやめたのですが、その時はもう自分の人生が終わったかのような悲壮感があったのを覚えています。

 

水泳の選手をやめてからは

水泳の選手をやめた後、お先真っ暗だと思っていた僕ですが、運が強かったらしく、小中高と水泳の選手をやっていた同級生がいない学校に進学しました。昔取った杵柄ではないですが、高校卒業するまで体育の水泳はトップを取っていたので、水泳に対する嫌な思い出もだいぶ昇華されたのが救いですね。

 

無事是名馬を目指そう

それでも会社は回るということ

長々と自分語りをしてしまいましたので、本題に戻りますね。みんなで無事是名馬を目指すべきだという話です。

僕が社会人になったころ、年上でお世話になっていた先輩は会社のエースとして働いていました。しかし、或る日遅くまで残業をして帰った翌朝、いきなり心筋梗塞で倒れました。まだ30代だったにも関わらずです。幸いにも一命を取り止めましたが、心臓がかなり弱くなっているらしく、塩分制限や重いものを持ってはいけないなど、生活に支障をきたすことになってしまいました。

そんな時、とても衝撃だったのが、それでも会社は回るということです。その先輩は営業のエースで、かなりの業務を抱えていました。「俺がいなきゃ、会社は回らない」というようにエースであることに自信を持っていたわけです。

しかし、そのエースだった先輩が倒れた後、同僚たちが手分けをして案件処理や顧客対応を行うことで、エース不在でも会社は回っていました。

 

自分の代わりはいないということ

小学生で初めて「無事是名馬」を聞いた時には、実績を残さないということに恐怖感を覚えました。まだ将来は遠い未来のことで、自分の人生について深く考えていなかったからですね。それが社会人になって、倒れた知人を見た時、意識が変わりました。

会社は自分が抜けても回っていきますが、自分の人生にとって、自分の代わりは誰にもできないということです。家族にとっても、自分の代わりはいないわけです。もし先輩が帰らぬ人となっていたら、当然ながらその時点で先輩の人生は終わっていました。

残された子供はどうしていくのか。それを想像した時、なんとも言えない、虚無感がありました。

社会で働く以上、評価を受けなければならない時もありますし、功績を求めて無茶をする時もあります。ですが、常に自分の代わりは誰もいないんだということを忘れず、自分のことを大切にしていくべきだと思いました。

 

まとめ

小学生の時に出会った言葉が、年月を経て、全く異なった見え方をするようになりました。

僕の人生を振り返ってみても、輝かしい実績と言えるのはありません。ですが、無事に長いこと走り続けられたら、僕だって名馬になれるんですよね。会社やビジネスで自分がいなきゃ仕事が回らないと考え、仕事と一緒にストレスを抱え込んで心身を壊すくらいなら、まずは自分自身を大切にした方がいいんじゃないかと。

人生というゲームにおける選手生命は、スポーツ選手よりもはるかに長いです。しかし、人によっては心身を壊し、働けなくなってしまう人が大勢いるのも事実です。

健康でいられることを当たり前だと思わず、心身のケアをしっかり行い、息の長いプレーヤー(社会人)になること。それこそ、名馬になるための近道なんですよね。みなさんもぜひ、一緒に無事是名馬を目指しませんか?

それでは、また。

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ABOUT US

海馬
「無知の知」を自覚し、学び続けています。 増やした知識が単なる記憶の蓄積とならないように、ブログ「知識の海から」を立ち上げました。 学んだことや考えたことをアウトプットしていきます。英語が好きで、独学でTOEIC955点。英国と米国に滞在経験あり。2020年秋に産能大学卒業予定。学べる環境に感謝。