どうも、海馬(@Transtier)です。
2019年春に転職をしてから、僕は会社の仕事を通じて日々の成長を実感しています。しかし、それまではずっと会社に行くことが嫌でしたし、自分のことを「社畜」だと蔑むことさえありました。
かつて、僕は会社組織から自由になりたくて、会社を辞めてフリーランスとして働こうとしたことがあります。それは失敗に終わり、会社員に戻ることとなりましたが、その時に得た経験は僕にとって非常に学びが多いものとなりました。
自由を得ようとして、僕は持っていた自由さえ失った。
ちょっと名言風に書いてしまいましたが、僕がその経験を通じ、「自由」について考えたことを紹介していきたいと思います。もし、サラリーマンが嫌だからとフリーランスを考えている方がいましたら、まずはこの記事を読んで欲しいと思います。
自由には”freedom”と”liberty”がありますが、そのどちらが自分の求めていたことなのか、考えていきましょう。
目次
脱社畜宣言でライターを目指す
上司が心筋梗塞で倒れる
今は外資系企業のオペレーション・マネジャーとして働くことに喜びを感じていますが、僕はずっと仕事に対してコンプレックスを感じていました。どれだけ努力しても仕事に自信を持てず、定年まで会社組織で働くことは絶対にできないと感じていたんですね。
会社を辞めたい。その思いが強くなったのは、とある家族経営の会社で働いていた時です。仕事を教えてくれていた上司がある日突然心筋梗塞で倒れました。幸い命に別状はありませんでしたが、人の命はあっけないということや、上司がいなくなっても仕事は回るんだということに衝撃を受けましたね。
その時、普段は上司に頭の上がらなかった人が急に上司を貶めるようなことを話している姿を目の当たりにし、その会社から逃げるようにして、僕は勢いだけで脱サラをしてしまったわけです。
▼当時の話は以下の記事に詳しく書いていますのであわせてどうぞ!
関連記事:「無事是名馬」を目指そう|自分の選手生命を意識する
フリーランスのライターとして働くも・・・
その少し前からインターネット上でウェブライターの仕事を多少してお金をもらっていたので、専念すれば何とかなるだろうという甘い考えがありました。ちょうどIT企業の社長のライター案件に合格し、記事を書かせてもらえることになったので、そこからウェブライターとして羽ばたこうと考えたわけです。
しかし、本業の合間に記事を書くのとは違い、本業としてのウェブライターは1日に大量の記事を書かなければなりません。副業としてなら、気分が乗らなければ書かなくても文句を言われませんが、本業ではそうはいきませんよね。
書かなければもちろん無収入です。収入が不安定なので、買い物すら怖くなりました。
僕は自由を求めてフリーランスのウェブライターになったはずが、会社員時代に享受していた自由さえも失ってしまいました。
結局、僕は会社員だろうがフリーランスだろうが、「働く」ことに対しての覚悟ができていなかったんだと思います。ウェブライターを諦めた後は会社員に戻り、数年間は非正規雇用として苦悩の日々を過ごしますが、それはまたいつか別の機会で書きたいと思います。
自由には”freedom”と”liberty”がある
自由には2つの種類がある
会社員に戻ってから苦悩の日々を過ごしましたが、今は外資系企業のオペレーション・マネジャーとして楽しい日々を過ごしています。「不自由さを感じながら仕事をしているのか?」と問われれば、そんなことはないと答えます。
僕がこの違いについて考えた時、ある1つの答えにたどり着きました。それは、自由には2つの種類があるということです。”freedom”と”liberty”の違いについて、説明をしていきたいと思います。
”freedom”とは
”自由”と聞いて、最初に思い浮かべるのが”freedom”だと思います。この自由はイメージとして、人が生まれながらにして持っている自由であり、僕は「完全なる自由」という風に解釈しています。これが正しいのかわかりませんが、原始人がサバンナのど真ん中にいるというイメージですね。
freedomは受動的な自由で、すでに与えられている自由です。
何をしても自由ですが、それなりにリスクを負うことも多いでしょう。僕にとってはフリーランスのウェブライターになるということは、”freedom”の自由だったんじゃないかと考えています。
”liberty”とは
もう1つの自由は”liberty”です。この言葉は、僕が通っていた高校のテーマでもありました。(念の為、関西圏の野球が強かった高校ではありません)
その高校ではlibertyを「制約のある自由」と表現していました。守るべきルールがあり、そのルールを犯さない限りは「自由」にしてもいいという校風だったんですね。
”liberty”の表している自由は能動的で、自ら掴み取るという意味もあります。
「自由の国」といえばアメリカであり、「自由の女神」は何と呼ばれているかご存知でしょうか。
”The Statue of Liberty”
イギリスから自由を得るために戦い、独立したアメリカなので、”freedom”ではなく”liberty”がつかわれているんですね。
求めていた自由とは
組織の中で自由に動けること
僕がフリーランスに憧れ、そして失敗した理由の1つに、僕が自分自身のことを理解していなかったということが大きな要因としてあります。これまでの人生を振り返り、僕が求めていた自由とはどんな自由だったのかを改めて考えてみると、僕が求めていたのは「組織の中で自由に動けること」だったのだとわかりました。
これは組織の中でルールを無視して好き放題にするということではありません。あくまでも組織のルールに従いつつ、自分らしさを発揮して働くということでした。例えば中学校時代の野球部では、クリーンナップを打っていたので、チームの主軸としてある程度の発言権がありました。
そのような環境が僕にとっては自由だったんですね。当然、野球部として土日に練習したり試合に出ることもあります。しかし、それ以外で得られる自由というのもあったわけです。
当たり前ですが、社会人になりたての時は組織のルールや先輩に従うことしかできません。楽しくありませんでしたし、苦痛でした。ですが、そんな苦痛を乗り越え、少しずつ前進した結果、今は組織の中で比較的自由に業務を行えるようになりました。
まさにかつて僕が野球部で感じていたような自由を楽しめているのです。
フリーランスの失敗で学べたこと
フリーランスのウェブライターをしていた時は、毎日がとても不安でしたし、実際に預金が日に日に減っていくことが恐怖で仕方がありませんでした。僕にとっては正直、消してしまいたい黒歴史のようなものです。
しかし、そこから学べたことも多くありました。人にはタイプがあって、完全なる自由の下でも信念を持って動ける人と、ある程度の尺度(行動規範や評価基準)がある方が動ける人がいるということです。
どちらが優れているということはなく、どちらの方が輝けるかということですね。
まとめ
以上、自由について考えたことを書いてみました。
自由には”freedom”と”liberty”の2つがあり、それぞれ完全なる自由と制約のある自由とに分かれるんですね。僕が憧れたのは「完全なる自由」でしたが、自分に向いているのは「制約のある自由」でした。
もし、会社員生活に不満があってフリーランスを目指そうとしている方がいれば、本当にその不満は会社員をしていては解消できないのかということを考えてみて欲しいと思います。例えば転職をするとか、上司に異動願を出すとか、そういうことを考えてみてもいいのかなと。
僕自身はフリーランスへの転身は失敗に終わりましたが、それも今となってはいい経験です。僕の失敗談や考えたことが何かのヒントになれば幸いです。
それでは、また。
コメントを残す