どうも、海馬(@Transtier)です。
確か高校時代だったかと思いますが、臥薪嘗胆という言葉を知りました。復讐心を忘れないために薪(たきぎ)の上で臥(ふ)し、同じく苦い胆(きも)を嘗(な)めて過ごしたという断片的な話を覚えるのみでしたが、その男の執念はとても印象に残りました。
現代においては、復讐心というよりも成功を夢見て苦労するという意味合いとして、座右の銘にもあげられているようです。僕もどちらかというと、この意味合いで臥薪嘗胆を使うことがありますね。
また、悔しさを忘れないという点では、諸説ありますが徳川家康公のしかみ像も有名かと思います。三方ヶ原の戦で武田信玄に敗けた悔しさを忘れないために描かせたという肖像画です。
やはり目標を達成するためには、不遇の時を動機に変えることが重要なのかもしれません。そこで、臥薪嘗胆と徳川家康公のしかみ像について改めて学び、そして今後にも活かしていきたいと思います。
目次
臥薪嘗胆とは
臥薪嘗胆の意味
先ほどもあげましたが、臥薪嘗胆の意味は大きく分けて2つあります。
- 復讐のために辛苦すること
- 目的を達成するために苦労、努力すること
言うまでもないかと思いますが、僕がこの言葉を使う時は2つめの「目的を達成するために苦労、努力すること」の方ですね。薪の上に寝て、苦い胆を舐めることで目的を忘れないようにする。
人のモチベーションはやはり長続きしないことがあります。動機付けには内発的と外発的とがありますが、復讐心を忘れないために何かを辛いことに耐えるというのは、外発的動機付けに当てはまるかと思われます。
失われそうになる動機を、外的な刺激によってキープさせているわけですね。
▼動機付けに関しての話は以下の記事に詳しく書いていますのであわせてどうぞ!
関連記事:内発的動機付けと外発的動機付け|モチベーション維持のために
臥薪嘗胆の由来
臥薪嘗胆が「薪の上に臥し、胆を嘗めることで復讐心を忘れないようにする」という意味であることはぼんやりと覚えていましたが、実際にはどのような故事に基づくものなのかは覚えていませんでした。
そこで、しっかりと意味を把握しようと思い、調べてみると、中国の春秋時代の話になるようです。「呉越同舟」で有名な呉と越の国が舞台なんですね。
越王勾践(こうせん)に父を打たれた呉王夫差(ふさ)は常に薪の上に寝て復讐の心を奮い立たせ、ついに勾践に復讐を果たします。敗れた勾践は室内に胆をかけてこれを嘗め、その苦さで配線の恥辱を思い出し、ついに夫差を滅ぼした。
僕はこの臥薪嘗胆は一人の人物が行なったことだと思っていましたが、勾践と夫差という人物がそれぞれ行なったことだったんですね。とても学びになりました。
徳川家康公のしかみ像
徳川家康公のしかみ像とは
皆さんも一度は目にしたことがあるかと思いますが、徳川家康公が座椅子に足を組んで腰掛け、片手を頬にあて、しかめっ面をしている肖像画があります。「しかみ像」とも呼ばれるこの肖像画ですが、正式には徳川家康三方ヶ原戦役画像というそうです。
こちらは徳川家康公が31歳の時、甲斐の虎と恐れられた大名である武田信玄と「三方ヶ原の戦い」でぶつかりましたが、大敗し、命からがら居城の浜松城へ逃げ帰った直後に描かれたとされている肖像画です。
この時、恐怖のあまり馬上で脱糞をし、失禁をしていたので、家臣が驚いて着替えを促したのを振り切り、自戒の念を込めてその無様な姿を肖像画に残したという逸話があります。以降、家康はその絵を常に飾り、敗戦のことを忘れず、決して慢心しないように自分を戒めていたということでした。
敗戦から目をそらさず、天下を取った
人間50年とも言われた戦国時代において、31歳は大名として脂が乗っている時期ですよね。きっと徳川家康公も、当時は勢い付いて血気盛んだったんじゃないでしょうか。それが、命を落としかねないほどの大敗。
普通なら消し去りたいほどの大失敗ですが、それを肖像画として残すことで、生涯忘れないようにした。そこに天下人の器を感じますよね。
徳川家康公の遺訓として伝えらている一節の中にも、この当時のことを思わせる言葉がありました。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
負くること知らざれば害その身にいたる。三方ヶ原の戦で大敗を経験したからこそ、その後の天下取りにも色々な学びがあったんだろうなと思いました。
▼徳川家康の遺訓に関しての話は以下の記事に詳しく書いていますのであわせてどうぞ!
関連記事: 【徳川家康の遺訓】いかりは敵と思え|ユーキャンでアンガーマネジメントを学ぶ
臥薪嘗胆の心意気で過ごす部屋
初のアパート暮らしで神経質な住人から天井を突かれる
僕が住んでいるのはアパートの2階の部屋です。もともと東京に住んでいましたが、転勤と同時に引っ越してきました。それまでは一軒家の実家暮らしだったので、アパート暮らしはとても新鮮でしたが、一瞬で変わる出来事がありました。
それは友人が泊まりに来た時のことで、今でも鮮明に覚えています。ドンドンと何か音がして、最初は何が原因か気がつきませんでした。しかし、その音が僕の住んでいる部屋の下からだと気がついた時、血の気が引きましたね。
壁が薄いということで有名なアパート会社でしたが、まさか下の階の住人から天井を突かれるとは思っていなかったからです。友人はドスドスと足音が大きかったので、それ以降は僕も気をつけて歩くようにしました。
自宅なのに安らげない時が多い
1階は1Kで2階は1LDKという間取りのため、僕が帰宅してから過ごすリビングは下の住人が眠る部屋の上となります。その住人はどうやら変則的な勤務なのか、朝に寝ていたり夜早く寝たりと、時間帯がバラバラなんですよね。
タイミングが悪いと、僕が何か物を落とすだけで下から突き上げが来ます。先日は座っている高さからスマホを落としたことで、下から突き上げられました。
まさに「スマホを落としただけなのに」という気分でしたが、仕方ないですね。昨今は住民同士によるトラブルで殺人もあり得るので、なるべく大人しくしていようと思っています。
いつか東京に戻るその日まで
そんなアパートですが、気に入っているところもあります。今の職場まで車で15分以内という立地のため、通勤時間を非常に短縮できているところです。僕の上司や同僚は片道で1時間以上もかかっている人がいるので、その人たちと比べれば大きな時間短縮ですよね。
その短縮によって捻出した時間を勉強に充てたり、仕事にエネルギーを割くことができます。今はオペレーション・マネジャーですが、その先に進み、東京の本社へいつか行きたいと思っています。
その目標を達成するためにも、不遇の時を動機に変え、臥薪嘗胆の心意気で過ごしていきたいですね。
まとめ
以上、臥薪嘗胆と徳川家康公のしかみ像について書きました。
つい先日、大人しくリビングでブログを書いていたら下の階から突き上げられ、思わずこちらも反応しそうになりましたが、それではアンガーマネジメントを学んでいる意味がありません。
なぜこちらが我慢ばかりしなければならないのかと思うこともありますが、その悔しさを糧にして、東京本社勤務を勝ち取りたいと思います。颯爽と今のアパートから出ていけるその日まで、臥薪嘗胆の心意気を持ち、精進していきたいですね。
それでは、また。
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